神域の章
空間や時間というものは、ときに神域に繋がる端境となる。
それは山河であり、森であり、滝であり、水平線である。
陽が昇るときであったり、陽の落ちるときでもある。
神域へ至るにはそれらのような「ガラリと風景が変わる場所」か「特徴的な時間の一部」、あるいはその両方が必要であるとされる。
神域はこちらから覗き込むだけではない。
神が我々に干渉するのであれば、その逆もあり得るのだと考えられる。
空間や時間というものは、ときに神域に繋がる端境となる。
それは山河であり、森であり、滝であり、水平線である。
陽が昇るときであったり、陽の落ちるときでもある。
神域へ至るにはそれらのような「ガラリと風景が変わる場所」か「特徴的な時間の一部」、あるいはその両方が必要であるとされる。
神域はこちらから覗き込むだけではない。
神が我々に干渉するのであれば、その逆もあり得るのだと考えられる。
常世こそ神の国である。
常夜とも書かれるが、同一の存在といえる。
昼の常世、夜の常夜、どちらも表裏一体である。
しかしふたつに境はなく、時がない。
永遠に夜であり昼である。
神の国は、この曖昧な存在に、新たな境が重なったとき、初めて姿を現す。
神に至る道は(新たな境は)、我々が住まう空間での、昼と夜の境にこそある。
境、つまり夕陽の道は、天照神に守られる。
端境である夕陽に向かうには、自らが神籬であると示さねばならない。
神籬が、時と場所と道に重なるとき、光の道により初めて神はその国を開く。
魔時神籬とは時と場所が交わり、「あの世とこの世」が、「人外と人間」が、「太陽と月」が端境となり、道をつくる儀式である。
神域へたどり着くものは「マレビト」と呼ばれる。
汚れない神の国にとって、彼らは招かれざる客である。
しかし同時に、限りない幸運を手にした彼らを、神の国は拒みはしないだろう。
知識を与え、道具を与え、彼の国へ送り届けることもある。
おそれみ かしこみ まをしてまをさく
ゆくりなくけふ おおかみのおおひろまへを とおりたてまつる
たひらけく やすらけく われ まれびとなるや
(恐れみ畏み申て白さく
不思今日 大神の大広前を通行奉る
平けく安けく 我稀人なるや)